Short story ショートストーリー。AkihisaSawada作。
ヒロ・ヤマガタ Story #007
「試験期間だから」と彼女は言った。
その時僕らはどちらも17歳で、それは春休みの図書館だった。
初めて出逢ったその時から、僕は彼女が気に入っていた。
意思が強そうで、はっきりとして、臆することのない態度。
ほっそりとした体の線、大きな目。
僕は彼女を美しいと思った。
「ヒロ・ヤマガタ、私は大嫌いなの」
その日僕がひとりでヒロ・ヤマガタの画集を眺めていると、横からのぞき込んで彼女が言った。
それは僕と彼女が交わした、初めての会話だった。
初対面の相手との会話としてはずいぶん唐突だったけれど、僕は少し考えてから答えた。
「どうして?僕は別に嫌いじゃないよ。どちらかと言えば好きだよ。ある面ではとても優れた画家だと思う。それに成功してる」
「気球が嫌い。建物が嫌い。群像が嫌い。鏡みたいに光った車に反射して映る薔薇の花が嫌い。永遠の祝祭みたいなフリをすることも、無機質な色遣いも大嫌い。情緒というものがないのよ。ばっかみたい」
「情緒」
と僕は言った。情緒。
あいまいだけれど的確な表現だ。言いたいことはそれでだいたい伝わる。
「気持ちはわからないでもないよ。君が今言ったような点は、実は僕もそれほど好きじゃない」
「なら、なんで好きだなんて言ったの?」
「画家にはいろいろなタイプがあるから。個人的な好き嫌いはあるけど、それでも彼は優れているものをたくさん持っていると思うよ。
多くの人が支持しているわけだしね。彼の演出は一つの思想みたいなものだと思うよ」
「ふーん」
春休みの図書館には人もまばらで、いつも以上に静かだった。
周囲の景色、色や温度や匂いと、お互いの声だけが、二人を取り巻いていた。
そのとき僕は、世界中で彼女と二人きりだけみたいな気持ちになったことを、今でもはっきりと憶えている。
「ねえ、それってマルクスとか、ヘーゲルとかショウペンハウエルみたいなものなの?」
僕はそれを聞いてびっくりした。
そんなことを言う女の子は初めてだった。
ポイントがずれている気もしたけれど、
でもその時には僕はなぜか、それも当たらずとも遠からず、という気がした。
そして僕はあははと笑った。
僕が笑うと、彼女もつられて一緒に笑った。
僕らはしばらくそうして笑いあっていた。
なにがいったいそんなにおかしかったんだろう?
それでも、 彼女の笑顔はとても素敵だった。
☆
「試験期間だから」と彼女は言った。
「へんな期待はしないでね。奇跡を期待しないでってこと。
試験期間。
私たち、期間限定よ」
「うん、わかった」
「ばっかじゃない」
「なにが」
「あなたはいろいろわかっているみたいな顔してるけど、いろいろとわかっていないのよ」
「そうなのかな?」
「そうよ」
そしてあれから10年がたった。
僕らは明日、交際10年日の記念日に 二人でヒロ・ヤマガタの展覧会に行く約束をしている。