Short story ショートストーリー。AkihisaSawada作。
対ミネストローネ戦争 Story #011
「じゃあ言わせてもらいますけどね」、と彼女は言った。
僕らはダイニングテーブルにさし向かいで座り、お互いの目をまっすぐ見つめあっている。
時刻は夜の八時。
一瞬、僕の方がちらっと目をそらした。
特に理由があったわけでもないが、目にゴミが入った気がして瞬きをする必要があった。
その間も彼女はじっと僕を睨んでいた。
ようするに彼女の方が優勢だった。
「あなたはいつだって、自分勝手過ぎるのよ」
5秒の沈黙。
月並みな言い方ではあるが、永遠にも似た5秒だ。
そういう5秒がある。
僕はその永遠のインターバルの中で思いを巡らす。
そしてようやく口を開く。
「それは認める」
この言い方ならセーフだろうか。
「認める?」
「僕は自分勝手だった。いつだってそうだった。自分のことしか考えていなかった。・・・これでいいかい?ミス・ユニバース」
また沈黙。
今度は3秒だ。
僕の方から口をきった。
「つまり大学時代、君は僕のミス・ユニバースだった」
彼女がテーブルを叩く。
大きな音に、近くにいた猫の耳がぴくっと動いた。
どうやら火に油を注いだようだった。
彼女の怒りは油火災みたいに延焼性が高い。
しかし僕はいつも、せいぜい水か、くだらないジョークぐらいしか持ち合わせがないのだ。
彼女は顔に手をあてて泣き始めた。
事態は少しばかり深刻な領域に入ったことになる。
「でもさ、一言いいかな?」
「よくないわ」
「Ok。わかった」
「なによ、言ってみれば?」
「僕はただ、ミネストローネの味がちょっと薄いと言っただけじゃないか?」
今夜は久しぶりに二人でゆっくり過ごせる夜だった。
ここのところお互いにずっと忙しくて、なかなか会う時間がとれなかった。
じゃあステーキを焼きましょう、と彼女が言った。
彼女は最初にミネストローネを作った。
先に食べていて、と彼女が言った。
ほどなくステーキも出来上がった。
でもミネストローネの味が薄かった。
彼女がステーキを焼いて食卓についたとき、
「ミネストローネは、ちょっと味が薄いね」と僕は言った。
別に彼女を責めたわけではない。たまたま調味料の加減を間違えたのだろう。
誰にだってそういうことはある。
世間話みたいな、軽い感じで僕は言ったつもりだったのだ。
責めたわけではまったくなく、僕としては客観的な事実を述べただけだった。
今日の東京株式市場は前日比プラス95円だったとか、コンゴで採れる貴重なレアメタル・タンタル石をめぐって、ゴリラが乱獲されて減少し、重要な環境問題になっているらしいとか、その程度の客観的な話なのだ。
でももちろん、僕はそんなことは口にするべきではなかった。
おかげで僕らの今夜のディナーはだいなしになってしまった。
彼女は泣いていたが、声をあげなかった。
厳重に防音された部屋で、高性能なマイクをもってしても、彼女の泣き声を捉えることは出来なかっただろうと思う。
やがて彼女は涙をぬぐったが、僕を見なかった。
「あなたは、いつだって自分勝手すぎるわ」
すでに話題は、ミネストローネのことなんかではなかった。
もともと、ミネストローネが問題ではなかった。
彼女は単に僕が口にした言葉ではなく、僕の本質的な部分について、異議を唱えていた。
それがたまたま今夜だったというだけのことなのだ。
彼女はがたんと椅子をひき、ハンドバッグを手に取ってそのまま出て行った。
玄関のドアが音を立てて閉じられた。
僕はそのまま30秒間、黙ってじっと椅子に座っていた。
それから僕は玄関を開け、「ごめんよ」と言った。
彼女はいなかった。
15分待ってみたが、彼女は戻らなかった。
そしてそれから七年がたった。
今は2010年。僕は37歳になる。
玄関がバタンと閉められたその音から、もう七年だ。
でも僕は今でも、時折記憶の中に彼女をよみがえらせている。
当時僕は30歳で、彼女は29歳だった。
そういえばあの年の冬、僕は彼女とスケートをした。
なぜそんなことを思い出すのかよくわからない。でも僕はそれを今でもよく記憶している。
僕らはなだらかなループを描き、うまく止まることが出来ず、抱き合って軽くスピンをした。
彼女のシックな紫色の帽子。
白いぼんぽんが、彼女そのものみたいに生き生きと揺れいていたことを、よく憶えている。
あの夜、彼女はミネストローネなんか作るべきではなかったのだ。
僕は何度もそう思った。
でももちろん、問題はミネストローネなんかではなかった。