Short story ショートストーリー。AkihisaSawada作。
「恋する部長のロマンス」 Story #013
朝起きて、妻にニラ臭いと言われた。
昨日帰りがけに食べた野菜炒めのせいかも知れない。
たいした量のニラではなかったはずなのだが。
今朝妻は疲れていると言って朝食を用意してくれなかった。
頭痛とのこと。
仕方がないのでわたしはバナナが1本残っているのを見つけて食べることにしたが、むきかけていたバナナを愛犬のシーザーにとられた。
シーザー、お行儀よくしなさい。
それはお父さんのバナナだよ。
わたしは現在53歳。
某一部上場企業の部長を勤めている。
言うまでもないことだが、誰もが一部上場企業の部長になれるわけではない。
その点については、私は多少なりとも他人に胸を張ってもいいだろうと思う。
そのぐらいの資格はあるはずだ。
さてところで、時代はやってきて、去って行くものだ。
青春は去り、夢は終える。
花は散り、ロマンスの賞味期限は短い。
賞味期限が切れたものは、食べてはいけない。
シーザー、お行儀よくしなさい。
泥のついた脚で私の膝に乗ってはいけない。
つまり結局のところ、人生というのはすべからく失いゆく過程なのだ。
何も残りはしないのだ。
しかしながら、誤解しないで頂きたいのは、わたしはそういうことを悲観的に考えているわけではない。
事実を事実として認識しているだけだ。
気休めや、自己啓発的な精神論や、未明のトランプ占いで、事実をねじ曲げたいとは思わない。
事実とは、心構えの問題とは違う。
もちろんこんな私だって、いつも人生の暗い側面ばかりを見て暮らしているわけではない。
元気がいい時には別の考え方をすることだってある。
こう見えて、時には夢のようなロマンスに憧れもする。
毎朝通勤で使うバス。
私がバスを待っていると、いつも必ずすれ違う女性がいる。
年齢はおそらく、20代後半。
女性がもっとも美しい年頃だ。
そして彼女は実際、とびきり美しいのだ。
バスを待っている私の横を、彼女はいつも7:51に通り過ぎて行く。
2分と違うことはない。
すらりとした背の高い女性だ。クールで、芯が強そうだ。
彼女は人生のロマンスを、すべてその一身に体現し、凝縮したような女性だ。
人は53歳になっても恋をする。
私は彼女に出逢って、それを教えられた。
ある日の朝、私はついに、勇気を出して彼女に声をかけた。
「失礼」
その4音を発するために、私の残り少ない髪は総毛立った。
彼女は私を振り返り、しばし怪訝な目でこちらを見つめた。
「なにか?」
それは私が初めて聞く彼女の声だった。
その瞬間のことを、私は今後生涯忘れることはないだろう。
「ハンカチを」と私は言った。
「あなたは落としそうにもないし、財布もパスケースも落としそうになかったので、自分から声をかけてみることにしました」
彼女は表情のない目でじっと私を見ていた。
「失礼」と私は言った。
恥ずかしい事だが、私は彼女をまっすぐ見る事が出来なかった。だが、なんとか言葉を続けた。
「あなたはとても美しい。あなたのような美しい人に、私はこれまで逢った事がありません。
それだけ伝えたかったのです」
もう二度と、このバス停は使うまい。
そのとき私は心の底からそう思った。
自分の思いを彼女に伝えなければ、一生悔いが残るだろうという切羽詰まるような思いで、私は彼女に声をかけたのだった。
しかし声をかけた後では、けっして声なんかかけるべきではなかったという猛烈な後悔が私を支配した。
すべて夢は儚く、人の一生は失われる過程に過ぎない。何も残りはしない。
そうであるなら、なぜ声なんかかけたのか?
一生後悔が残ったとして、だからなんだというのだろう。
それもまたやがて、跡形もなく消えるのだ。
私は矛盾している。
その矛盾が、私を苦しめた。
53歳にもなって、私の頭と心は乖離している。
そう考えると、私は53年間もの間なにをやってきたんだろうと思う。
私が身につけたささやかな認識など、本当にうすっぺらなものに過ぎないのだ。
それが私を傷つけた。
・・・・・・
しかし人生とはわからないものだ。
その日から、私と彼女の交際が始まったのだ。
☆
我々は朝、いつもより30分早く家を出る事にした。
その30分間を、二人で早朝の公園を散歩して過ごした。
話す事はいくらでもあり、尽きなかった。
夜はだいたい三日に一度、7時に待ち合わせ、2時間ほどを過ごした。
時には店を出るのが11時近くになることもあった。
妻には仕事が忙しくなったからと言ったが、特別不都合はなかった。
楽しかった。
彼女と過ごす時間が、私にとってすべてとなった
彼女を失いたくない。彼女とこうして過ごす、今の私を失いたくない。
彼女との交際が一ヶ月を過ぎた頃、私たちは街を歩きながら、時々体を触れ合わせるようになった。
腕がぶつかったり、時には私の上着についた糸くずやなにかを彼女が注意深くつまみあげたり。
なにかの拍子に手と手が触れ合ったり。
ある日の夕暮れ、偶然触れ合った私の手を彼女が強く握った。
彼女はその手を、いつまでもはなさなかった。
私はそのことに感動して、しばらく口がきけなかった。彼女もそのままじっと黙っていた。
我々はそんな風にして、夜の街をどこへ行くともなく30分ばかり歩いた。
九段下を過ぎ、水道橋へ。神楽坂へ。
私は、彼女と一つになることを夢見始めていた。
彼女と二人で、一夜を共にするのだ。
そう考え始めると、昼も夜もそのことばかりが頭を巡り、離れなくなってしまった。
もちろん私は53歳の大人なので、彼女といる時にはそんな素振りは見せない。
しかし一人の時の私は、以前よりも無口になった。彼女のことしか考えられなくなった。
もし彼女と一緒にホテルに入るとしたら。
私は、いつも同じ仮定を繰り返した。
もしそうなっても、わたしは紳士に振る舞おう、と私は思った。
「私は強引なことはしたくないからね」
こう言うのだ。
君の嫌がること、気の進まないことは何一つしないと誓おう。
だがしかしながら、二人でホテルに入ったという時点で、もうお互い承諾済みということなのだから、こんな言葉は考えてみれば無意味だ。
これはやめよう。
では一つジョークでも言ってみようか。
「わたしの銃を抜かないでくれたまえよ、君」
銃?と彼女は聞くだろう。
「劇の中に銃が登場したら、銃は必ず火を吹かねばならない」
その頃には、彼女もきっと意味を理解し、おそらくクスッと笑うことだろう。
もちろん彼女もチェーホフを読んでいるはずだ。
しかしこのジョークでは、私の品位が損われるのではないか?
しかし私は思うのだが、クスッと笑われることは良いことだ。
クスッとした笑いは、いわば二人だけに通じる秘密の言葉。
愛の入り口では、ユーモアが潤滑油の役割を果たす。効果的に果たすのだ。
そのクスッとした笑いが、愛の導火線へと点火する種火となる。
まさに、マッチはすられるのだ。
「私のマッチに火をつけないでくれたまえよ、君」
いやこれはやめておこう。
二度はくどいし、ユーモアというよりは悪ふざけになる。
調子に乗り過ぎてはいけない。
やがて我々は、沈黙に包まれるだろう。
温かく親密なその静謐の中で、私は彼女の手をとるだろう。
彼女は強く、私の手を握り返すだろう・・・・・・
しかしもちろん、そんなことは起こらない。
ここに書いたようなことは、すべて私の想像だ。
毎朝バス停で7:51にすれ違う20代後半の美しい女性というのも、私の作り話だ。
そんな女性は実際にはいない。
しかしながら、人にはあらゆることを自由に夢想する権利がある。
想像力の中を自由に生きる権利があり、救われる権利がある。
想像力もまた、私自身の一部なのである。
その想像の中で、私は夢の女性と恋に落ちる。
情熱に身を任せ、この世で唯一の愛を誓い合う。
それもやはり、私自身の一部に違いないのである。
シーザー、お行儀よくしなさい。